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手作りのセミナー

 昨日、『納得のできる介護を考える研究会』に参加をした。

 それはそれは、人数の限られた関係者が日々準備されたのでは?そう感じされるものであった。実際講演は、シンポジストによって進められた。

 進行役から、紹介される。シンポジストは、演台の前に歩み寄り腰をおろし手に持っていた長い用紙をセロテープではっている。それが済むと、演台の横を半周し、参加者と初めて顔を向き合わせることになり、着席。先ほどはっていたものは、自分の名前が書いてあるものであった。そしてはじめられたのである。

 小・中学校に通っている二人の子供を持った40代終わりの父親、がん宣告を受けてからの妻である母親の葛藤ある生活、本人の希望もあり最後まで在宅で過ごされ、住み慣れた我が家で永眠されたとのことである。そののち、残された家族だがとくに多感な年齢にあった娘の心と向き合う母親、言葉では多く語られていないが、大変なご苦労があったようにうかがえる。 

 最近になって、娘さんから言葉が聞かれた「お父さんが亡くなった後・・・・・どうして、見捨てられたきもちになったよ・・・。」 

 その言葉を耳にし、「今おもうことで、あの時私がもう少し説明をすればよかったとおもっている。」

 義母の介護・夫の世話を当たり前のようにしていた嫁であり妻である元気であった母親の、突然のがん宣告。入院している母の世話をしつつ家にもどってくる娘、そこにはこれまで当たり前のように面倒見てもらっていた義母・父のなぜなぜの戸惑いを感じるとともに

 治療を受けている母親の思いをしっかり受け止めている彼女には、はざまで両者の感じていることを受け留めるには、あまりにも過酷な日々であり、辛い辛い時期であったことが伝わってきた。そして時間が経過した今、「誰かにきいてほしかった。問題を解決してほしいわけではない。他者に話すことができれば、それだけでよかった。」

 まだわけがわからぬ幼子・学校に通っている子二人を抱えていた看護師の夫、30代半ばバリバリ仕事に精を出していた。体調の悪さから検査を受け、まったく異常ないの結果を耳にしたのが1週間前、そのあと突然宣告。

 妻は、信じられなかった。最初聞いたとき「手術すればいいですよね。」のドクターへの言葉に、予後2週間持つかどうかの状態であるからもう無理。本人・子供にも告知せず、妻一人の介護生活に入った。

 一度外泊をすすめるが、「いずれ退院したら帰れるからいいよ。」お正月を迎え翌日亡くなった。娘は出かけていて間に合わず、「あの時わかっていれば、いかなかった。」最近こんな言葉が聞かれた。

 体験者が、身をもって語ること、それは心からのメッセージ。

 私は、みなさんと比べたら軽い軽い介護の体験者かもしれない。が、違った意味での体験をしている。看護・介護をした人だけしかわからないと、つい、きついことを言ってしまう自分がいるが、シンポジスト皆さんからの一言一言は、浸みいるようにすんなり入ってきた。私は、「本当にそうなんですよ。」とうなずいていた。

 疲れきって体のおきどころがどうしていいのかわからない。目も見えなくなる。病院から久しぶりに入浴するため我が家に向かうが、帰る道を歩いていても足が重く重く、おもりでもつけているような鈍さ、足は、一向に前に進まなかったことを思い出した。介護者家族は、同じ気持ちになったことあると思う。また、「見舞いをわたしたいので、持っていきますから」とある。お気持ちだけで十分です。心からのメッセージである。

 そのかわり、『なにか聞いてもらえますか?ただ聞いていただければ、それだけでありがたいのです。』

 しかし、「あなたは、良くやっているわね。私なんかいやだからほっぽるわ!・・・にお願いしちゃうわ。本当に偉い。」

 団塊の世代の高齢者で、あふれるときがもうそこまで忍び寄っているのではないか?

 これから活躍いただきたい世代に、少しでも多くの知恵を受け継いでいただけるよう、今回のセミナーのような地道な勉強会も大事かと痛感している。

 ものではない、『心』の尊さをこれからの看護・介護に生かされるようしたいものである。

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