在宅看護研究センターLLP/日本在宅看護システムは、 「自分らしく生き抜く主体的医療」を重視・・「看護師としてやるべきことがある」、7月1日、メッセンジャー力を出し合って新体制を発足 ステーションの管理者は最若手、6月から非常勤の同志が常勤に・・・さらに、同志の看護師を募集

1986年3月24日、開業ナース集団の在宅看護研究センターは誕生しました。組織替えにより、その収益事業部門として1992年に設立したのが日本在宅看護システム在宅看護は今の時代に合わせて進化させなければいけません。看護の本質にこだわりつつ、本来あるべき看護、今の時代に看護師としてやるべきことを様々な形で追求・追究しています1999年には在宅看護研究センター付属訪問看護ステーション を設置。
 

・勉強会を開催するなかで、全スタッフが今求められている看護を提供し、1つの方向に向かって行動する。今の時代に即した新しい日本在宅看護システムの構築が進んでいます。 

【看護は実践なくして語れません。 看護は実践なくして評価されません】 私たちは、実践・教育・研究を軸に誕生した在宅看護研究センターの理念を基に活動しています。

            活動報告「システムのスタッフは、今」  2017_0521_152351p1040113

 「ボスは、これからの看護師は自身で何が強みか、何ができるのか、どこで勝負できる看護師なのか言える看護師じゃないと淘汰されていくって言ってましたよ。2025年が来るからといって、ただ看護師というだけではクビになりますって言ってました!

すごいハッキリしたでした」(2017.1.22川口)

在宅看護研究センター設立31年目、めざすは、システム発足当時の看護と介護の連鎖・連動。メッセンジャーナースと共に歩む仲間、「私はこんなことで取り組みたい」という意志をお持ちのあなたをお待ちしています。

お問い合わせ:℡03-3362-3193(担当:片岡・奥山)

『メッセンジャーナース 看護の本質に迫る』 (看護の科学社)      注文は、看護コンサルタント 

*「看護実践の科学 9月号」(看護の科学社) [特集]メッセンジャーナースが伝える看護師の主体性

*中央公論9月号(8月10日発売) 特集:対談「父・永六輔は家族に囲まれて旅立ちました」

開業ナースのエッセンス 「暮らし」に伴走する看護のすすめ(心の科学:日本評論社)・Ⅱ.ともに創りあげる看護・・・加齢とともに輝いて生き抜くには、今、何が足りないかー実証研究への取り組み(奥山直美)

*婦人公論2015.1.22号「ルポルタージュ 時代を創る女たち 開業ナースは心を聴く」⇒「20150122.pdf」をダウンロード

日経新聞夕刊『人間発見』2012年4月16-20日掲載「開業ナース、患者を自宅へ」⇒     

ライフアシスト第82013巻頭インタビューいまを生きる「その時」は家で WEB

特集「今求められるコミュニケーションスキル」看護の科学社 9月号 VOL39 NO.10

医療心理学 第1章第4節ターミナルケアにおける心理学的支援(2013年3月 おうふう)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.86 「“呑んべい”の言い訳」(2)     安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.86 2017.8.17 「“呑んべい”の言い訳」(2)

           「“呑んべい”の言い訳」(1)こちら

「呑んべい」は、なんやか言い訳を考えながら飲む。自分自身を納得させる言い訳をしないで呑む人は、本物の「呑んべい」ではない。このコラムでは、それを「呑んべい」の定義とする。

朝、今日は止めておこうかと思っても、一仕事を終え帰宅する際、何かと理由を付けて、今日は、まあいいかと仲間と居酒屋に繰り込む。大抵、今日は飲まないと決めていたがと、仲間のせいにする。すでに「依存症」に近くなっている。飲む量の多寡でないでなない。毎日、晩酌をする人は、大半は「依存症」か「依存症」候補者である。

「キッチンドランカー」という言葉を御存知と思う。それが常態化すると「依存症」になる確率が高くなる。他人に迷惑を懸けないうちは、個人の問題として片付けられる。明らかにそれが原因で人様に迷惑をかけると「アル中」と言われる。「アル中」は、今は医学用語として用いられてないが、「依存症」と言われても「そうかな」と思うだけであるが、「アル中」と言われると、むきになって否定する。

「依存症」の医学の定義は、ある物事に依存し、それがないと身体的・精神的な平常を保てなくなる状態を指すとされる。アルコール依存症のような物質に対するものと、ギャンブル依存症、インターネット依存症のような行為に対するも、人間関係に対するものがある。 医学書を見ると、幾つかの「依存症」の病名が記載されている。

「ワークホーリック」という言葉がある。これも「依存症」であると思っているが、医学書には載っていない。現在の社会では、仕事第一の人が愛でられる風土なので、「仕事依存症」は、好ましく受け止められることが多い。しかし、自分の一生、家庭にとっては「害」となることもある。定年を迎え、さて、これからの人生をどのように送るか、仕事一筋だけの人生を悔やむ。趣味を持っていればと。家庭は、「呑んべい」と別な世界を送っている。ご近所さんの話、スーパーの話、新聞のチラシ広告、宅配便の話、クリーニング屋さんの話など、「呑んべい」は全く入り込めない話ばかりである。

帰宅しても家庭の話題に入り込めず、晩酌をし風呂に入り寝るといった人生もまた「依存症」候補である。晩酌の初めの一杯が緊張した気分を解す。これが、家庭に帰ると自動的にできるシステムになっているとその習慣に頼る。長年、続くと「依存症」になる。

小生は、健康面談を受けることが多い。中年の人で毎日、飲酒する人に、午前中はかったるそうにしているが、午後になるとバリバリ活動する人、言い訳をし「呑む人」、過度に晩酌をする人は要注意である。

先日、明らかに依存症と思われる人と面談した。今日は、止めておこうと思っても帰宅するとすでに酒肴が並んでいるので、やむを得ず「一杯」と、言い訳をした。「呑んべい」は呑むことに対し、少なからず罪悪感を持っていることが多い。呑まざるを得なかったと自分に言いきかさているのである。

小生は、アルコールは嗜むが「呑んべい」ではない、「依存症」になっていないと思っている。2・3週間ほど、アルコールを遠ざけても精神活動はかわらない。「依存症」でないことを確認するために禁酒をしたのである。確認はできた。

さあ、今日は何を「酒肴」に一杯、やるかな。(完)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.85 「冷やしそうめん」と「カレーライス」 安藤 武士 Andou takeshi

1941年、新潟県生まれ。1967年、新潟大学医学部卒業後、医師登録と同時に外科研修を開始。72年、呼吸器・心臓血管外科を専攻後、80年より、心臓血管外科部長として日本赤十字社医療センターに勤務。87年より職域病院部長、2001年より職域診療所所長、2010年より佐野市民病院健康管理センター所長、そして 現在は、医療法人社団東華会・介護老人保健施設たかつ施設長として活躍。労働衛生コンサルタント・スポーツドクター(日体協)・健康スポーツドクター(日医)・認定産業医(日医)の資格を持ち、これらの5つの顔を絶妙な味で使いわける医学博士である。身体の大きさと、豪快な笑い・笑顔には、その人柄と存在感をより強くアピールする何ものかが潜んでいる。やはり'武士'にして"武士"ここにあり。

Vol.85 2017.7.18 「冷やしそうめん」と「カレーライス」

小生の若いころ、特異な性格を有する友人が発した言葉と人生を紹介する。共に大学にいた頃の友人である。医師である友人は型にはまらない性格であるが、医療も研究も極めて真剣に取り組んでいた。当時、当たり前に行われている診療に対しても斜に構え評価し自分が納得した、また、自分が考えた医療を行っていた。しかし、所謂「リピーター医師」ではなかった。彼の母親は、シングルマザーで「クリニック」を経営し一人っ子の彼を育てた。彼は「育てられたのではなく、育った」という。幼少時から、何時も一人で行動していたようである。女医に対しては、「女医は女ではない」と厳しい見方をしていた。

その彼は、自由奔放な生活を送っている一方、寂しがり屋でもあった。少ない友と心を許しあうまでになると、急によそよそしくなる。いつぞや、「自由と孤独」、「幸福と束縛」が僕の人生観と小生に言った。幸福そうな家庭は、家族の誰かが潜在的に「自由」でありたいと思う気持ちを抑えているから成たっているという。かねがね、だから家庭を持つ積りはないと言っていた。以来、今日まで小生の頭の隅に彼が発した「フレーズ」は住みついている。その言葉は、両極端であるが説明しなくとも充分理解されると思う。彼は、何時も何かからも「自由」でありたいと思い生活を送っていた。

その彼から、30歳の半ば「結婚」したという知らせが届いた。あんなに、「自由」であることを、「誰からも束縛されない人生を送る」ことを望んでいたはずなのに、と驚いた。彼は二人の子供を持ち「幸福な家庭生活」を送っていたと聞く。その後、自宅から離れた片田舎に「クリニック」を開いた。彼は、「クリニック」に寝泊まりし週に1度、帰宅するというという家庭から離れた生活を続けた。

その特異の性格と医療に対する熱心さが地域住民から受け入れられ「赤ひげ先生」になった。彼が望んでいた自分の生活を取り戻したのである。彼の心の束縛から解放されたのである。しかし、自由になった交換に一人で生活する孤独な生活を送ることになった。30余年後、離婚したと風の便りで知った。

前置きが長くなった。彼の望んでいた「自由」を取り戻した人生を、若干、ためらいつつ人生の終末期に入った小生の感想を記す。「自由と孤独」、「幸福と束縛」。人生を両極端の言葉で括ると、人生は正に「ギャンブル」である。そうならない為には、「適当な自由」、「適当な幸福」を望むことが必要と思われる。それも、また難しい。

 そとは暑い。夕食は「冷やしそうめん」でもと思っていたが、「カレーライス」であった。“美味しかったよ。ご馳走さま”と言ってお風呂に入り床についた。あと何年、続くのかな。(完)

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【システムのスタッフは、今…同志の連携で本来のシステムの看護が再び始まった】急遽の希望に応えて調整、東京から鹿児島へ

道中、息子さん、ご本人と地元の話で盛り上がりました。 

機内では痛みが出てしまいオキノームをのみお休みになられその間に到着できました。鹿児島の病院に着きご本人笑顔で顔色の悪さも改善してました。

機内のプレミアムシートも親切な方が席を交換してくださり隣同志に座れ、ほんと助かりました。 

あと、送り出した病院の相談室では同志の板垣さんと久しぶりに会い、変わらずの仕切りぶりに笑いそうになりました。

彼女らしいとつくづく感じた次第です。(おに)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.84 ねこの挨拶     安藤 武士 Andou takeshi

Vol.84 2017.5.5 ねこの挨拶

毎週、日曜日、夕飯を楽しみながらTVの“さざえさん”を見ている。1969年10月5日から続いているとのことで、日本一の長寿番組であろう。

いつ放映されたかわからないが、磯野家の庭に毎日遊びに来る野良ネコが、姿勢正しく両前脚をそろえ、きちっとした佇で、サザエさんに、“にゃーん”と一声なきしどこかに去った。それ以後、野良は姿を見せなくなった。数日後、さざえさんが、“どこにいったのかしら、”お別かれの挨拶“にきたのかしら”というという場面があった。

小生宅のことである。現在の住まいに居を構え四半世紀になる。小生宅前の6m幅の道に、10数匹の野良ネコがうろうろしていた。“野良ネコ通り”とも言われていた。

家人が世話をし始めた。朝夕、餌をやり、野良が餌を食べていう間、40メートルほどの間のトイレの始末、ご近所さんの玄関先を掃除するのが日課になった。数年も続くと、当初、冷やかだったご近所さんの家人に対する視線も変わった。ご近所さんと、挨拶だけでなく立話をするようになった。

野良は大抵、母親とその子と思われる一組で餌を食べに来る。当初は、スーパーで買ったお刺身のトレイなどを利用していたが、風で飛ばされるので瀬戸物になった。許されるかどうかは別にして、家人に手なずいたところで避妊手術を受けさせていた。自治体から補助が出るが、かなりの負担になったらしい。すべての野良に名をつけていた。マメ、クロ、ゾウキン、ゴン、タナ、チビ・・・、などである。ネコ仲間のご近所さんと、「クロが弱ってきた、食事もしないのでもうすぐお迎えが来るのではないか」など立ち話をすることが多くなった。数年前からは、玄関先に“ノラハウス”を置き弱ったノラを住まわせた。

2年前、クロがなくなりチビだけになった。冬になるとホカロンを1、2枚入れ、食事もルームサービスするようになった。エサは缶詰であったり、カリカリ(固形食品)であったり、贅沢させていた。チビは日中は、日向ぼっこ、夕は、エサを食べ終わると“ハウス”にもぐり込んだ。チビは冷たい水はのまず白湯だけを飲んだ。家人は、時間が来ると水差しとお湯の入ったポット、缶詰め、カリカリの食事セットを持って世話をした。

 今年の冬、チビは“ハウス“から出てくる回数も減り、食欲もなくなりそろそろお迎えが来るような状態になった。好天の時は、お向いさんの駐車場で日中を過ごし夕刻になる”ハウス“に戻る生活になった。白湯以外、なにも口にしない状態が3週間ほど続いた。“ハウス”でお漏らしをするようになった。紙おむつを敷き快適な環境にした。

 ある雨の降る早朝、玄関先で通行人の声がした。家人が出てみると、通行人の傘の下に、精一杯の力で姿勢をただし痩せこけた雨に濡れたチビがいた。家人は、すぐに食事セットを取りに行こうとしたら、チビは、“ニャー”と一鳴きし“ハウス”に戻った。通行人に礼を言った。

 日中、“ハウス”を覗くと息をしているチビがうずくまっていた。翌朝、チビは息を引き取った。

 小生も、“ハウス”を覗き死亡を確認した。玄関先の花を摘んでハウスに入れた。地元の保健所に連絡し遺体を引きとってもらった。ご近所さんも、亡骸の入った段ボールに花を入れ冥福を祈ってお別れをした。

 家人は、一日も欠かさず、朝夕、野良の世話を四半世紀続けた。その間、泊りがけ旅行は一度も出来なかった。小生との泊りがけの旅行は、無論、無かった。

家人は、一日、数時間の野良の世話がなくなったので、ホットしている。「でも、寂しいは。」と言っている。玄関先に、チビの写真付きの「訃報」の知らせと、お世話になった礼を記したチラシが掲示されている。享年18歳であった(ヒトでは88歳)。

 間もなく、小生の場合も世話がなくなってホットすることであろう。「でも、寂しいは。」という言葉が出てくるかどうかは、小生は確認できない。(完)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.83 “かわいそう”  安藤 武士 Andou takeshi

Vol.83 2017.5.3  “かわいそう”

講演会で、講演者に謝辞を述べる役割が小生に与えられた。慣例にしたがい陳腐な言葉で礼を述べたついでに、「どうしてそんなに“かわいそう”という気持ちがお強いのですか。」と尋ねた。講師は、“かわいそう”という言葉は上から目線でそのような言葉は嫌いです。と、ピシャリと言われたことがある。

確かに、上から目線の言葉のニュアンスがあると思っているが、それに代わる言葉がみつかからない。IT検索をすると、気の毒ふびん哀れ痛痛しい痛ましい、という言葉が同義語として記載されている。すべての文言は、やはり上から目線の感がある。「かわいそう:可哀相」という言葉は、近ごろは年上にも用いるーと、あるから、小生は“かわいそう”という言葉を上から目線でいっているのではないと気にしないで用いている。言葉遊びは終え先に進む。

過年の11月初旬の朝ことである。仕事で日本海側にある交通要所の都市に行った。特急電車から降りると、みぞれ交じりの小雪が舞っており寒さが身に染みる天候であった。

駅前の広場にベンチが置いてあった。寒さの中、そのベンチに靴も履かずぶるぶる震えているそう品も悪くない50歳ぐらいのご婦人が座っていた。スカート、ブラウスは薄汚くパンストもつけていなかった。ベンチに大きなバッグと衣類が詰め込まれたポリのごみ袋があった。一見して「新人ホームレス」であることがわかった。どうして靴を履いていないのだろう、これからどうするんだろう、“かわいそう“にと思った。

彼女とかなりの距離があったが、小生と眼があった。すると彼女は、小生に向かって裸足で走ってきた。小生が立ち止まっていると、彼女は「下着の一枚も買いたいので1000円ほど恵んでください。」とねだった。小生はいいですよ。寒くて大変ですね、と言い財布から1000円の積りで札をだした。女性はお札を手にして、すぐ、こんなにいただいていいんですか、有難うとうございます。有難うございますと何度も言って腰を折り、両手で札をささげあげ礼をした。わたした札がもろに目に入った。彼女が手にしていた札は5000円札であった。

財布からお札を出したときは、遠方をみる眼鏡を使用していたので渡したお札の額を確認せず渡した。彼女が礼を言わなければ、5000円札であったことに気が付かなかった。釣りをくれとも言えず、“おからだに気を付けて”と、紳士然としてそこを離れた。この寒空にどんな事情があってホームレスになったのであろうと思うことがしばらく頭から離れなかった。

帰り電車は、急行になった。一杯やりながら件のご婦人のことを思いながら帰った。数年たった今も、その後どうしているのだろう、“かわいそうに”と昔を思い出している。(完)

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コラム「医師として、武士として」 Vol.82 「メタボ」から「フレイル」へ。(2)      安藤 武士 Andou takeshi

Vol.82 2017.5.1 「メタボ」から「フレイル」へ。(2)

2015年の日本人の平均寿命は男性が80.75歳、女性は86.99歳と報告されている。1990年は、75.92歳、81.90歳であったので、四半世紀で平均寿命は5歳延びたのである。2016年の75歳以上の後期高齢者は、1、637万人、100歳以上のお年寄りは、65万692人と報告されているが、厚生労働省の試算では、2065年の65歳以上の高齢者は38.4%と達するとされている。近いうちに80歳、90歳台の超高齢者の健康確保・身体機能の向上対策が必須になるのではないか。今日の死亡原因の第2位、4位の動脈硬化性疾患は、生活習慣病対策が徹底されるにつれさらに罹患率が減少、寝たきり高齢者も減り、車椅子のいらない「高齢者」の健康向上対策が必要になる。

人は、おしなべて60歳ごろから程度の差があるものの、猫背、“べた足”歩行、膝も曲がり歩幅も狭くなる。立ち姿、歩く姿も“老人”と呼ばれるようになる。よろけたり、つまずいたり、こけたりすることが多くなる。身体機能の低下は、“お年頃の人”は頷くはずである。

折角、生活習慣病に患わずに済んだものも、人生の終末期に快適な生活が送れない状態になる。身体機能だけでなく認知機能、精神機能、心理的にも“老い“が来る。「年」をとった人を見て、ご自分でも身体機能に”老い“が来るのは当たり前と思っているのが現状である。TVでは、健康寿命を伸ばすため色々な健康食品が宣伝されている。すべて中年以上を対象にしている。

このような状態、高齢化に伴う身体運動・認知・精神・心理的な機能低下を「虚弱:Frailty」ということが、欧米では20年ほど前から提唱されている。本邦では、2014年5月、日本老年医学会は、その病態を「フレイル」と命名しその予防に取り組むことを呼びかけている。フレイルは、筋量低下・筋肉機能に着目した「サルコぺニア」、移動能力の低下に主眼とした「ロコモティブ(運動性)症候群」などを包括した病態を指している。身体運動機能・認知・精神・心理的問題の低下、虚弱:フレイルという。オーラル(口腔)フレイルも提唱されている。

「フレイル」の診断基準は、一般的にFriedの提唱した基準が採用されているが、詳細は略す。筋力低下、体重減少など身体的な側面だけではなく、精神的な活力も基準に入っている。このフレイル状態に対して適切に対処できれば要介護状態を低減できるようになる。詳しく診断基準を解説されているが、その基準を知る必要もない。高齢者、ご本人が「老い」を痛切に感じているとはずである。

小生のことである。中学から中年まで激しい運動をしてたので、強靭な身体機能を誇っていた。しかし、小生にも“老い”は確実に忍び寄ってきた。

50歳の半ば動態視力が低下、心臓外科医として第1線から身を引いた。追いかけるように社会保険庁より年金支給開始のための調査、定年になり病院を退職し、企業の診療所に勤務。歓迎会で「この度、定年で退職され縁あって・・・。」と紹介されたときは、「定年」という言葉にがっくりした。更にご存じの「ねんきん」騒ぎの渦中、「ねんきん特別便」がきた。肉体的にも精神的にも、“老人”にさせられた。

過日、さるパーティーでのスナップ写真をみた。小生らしい老人が写っていた。小生であった。愕然とした。まさに、老人の姿であった。以後、地下鉄の窓に映る姿を見てばかりいるようになった。

意を決して近くのトレーニングジムの門を叩いた。トレナーに、何を目的にしているのか尋ねられた。「立ち姿、歩き姿」を若々しくして欲しい旨伝えた。早速、トレーニングが始まった。週、1回、30分余の運動である。開始してから1年半経つが、確実に身体機能は向上している。1年余を経たころ、体脂肪率、筋組織量率の変化の検査を受けた。体脂肪率は4%減、筋組織量率は0.3%増とのことであった。筋組織量の微増で効果があったと判定された。姿勢、歩き姿も若々しくなり、フレイル状態の進行を食い止めることに成功したと思っている。トレナーに、いつまでやればいのかと愚問をぶつけた。「やめると、もとに戻ります。続けることです。」という返事が返ってきた。現在、ジム通いは、生活の一部になっている。

「ジム」では、小生が最高年齢とのことである、月謝が下がった。「客寄せパンダ」にしたいのではないかと勝手に思っている。(完)

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